足りない彼女を探し、15年目

こんにちは、遠子です。
昨日振り返りをあげたばかりですが、ブログの本分はなんでもないときや節目のイベントにあがるなんでもない言葉だな……と思い、4/10に迎えたのしぇ14周年、それから約2ヶ月も経ってしまった(あまりに恐ろしい)15年目ののしぇの話です。
本日コミティアに一般参加予定のため、どきどきわくわくおふとんにもぐっていますが、このあとおふとんで数えた羊にしてはえらい量の文章が続きますのでご注意ください!(あげる前に読み返した遠子)

本題以外に切り出しがないので早速ですが、
伽さんとわたし遠子の創作ユニット「no she / 僕には足りない彼女を探している」は、4/10に14周年を迎えました!

わたしにとって人生は伽さんと知り合ってからのほうが長く、その間にお互い社会の生き物としてせかせか動き出したり、帰る屋根の下を共にし始めたり、生活面でも大きな変化があり、14年をかけて重なる部分も増えました。
ルームシェアまでしていると、もうなかなかのことでこれ以上重なるということはないだろうな……と思います。くだらない喧嘩も、人生の根幹に関わる謝罪も、いまだ直せない悪い癖もありましたしありますが、こうして一緒にいてくれることに日々感謝です。
わたしの生活力、本当にお察しですし。
自分の生存に興味がないわけではありませんが、関心が……薄いので……どうしても……

4/10にはここ3年、のしぇの代理概念存在「ぼくたりちゃん」「ぼくたりくん」からなるぼくたりーずこと「彼女と僕」の絵を寄せています。
ユニットの概念存在ということもあり、ふたりの誕生日は4/10です。彼女と彼に固有の物語はありませんが、存在がある以上、わたしたちが見えていないだけの人生はあります。知り合った当初「誕生日が同じ」と盛り上がったんだろうなあ……というのは、想像に難くありません。
斜濱、サムフルとその直前年度の誕生日シリーズに寄せた一枚絵を描いていましたが、今年はいよいよ本編選抜入りを果たしました。

△ふたりで一枚の「星」

実は一番くらい悩んだ枠で、と言いますのもぼくたりーずは例年通り関連した雰囲気の絵で行こうと思っており、星の枠には誰かしらのしぇキャラを入れる予定でした。
日頃の言動的に最有力候補っぽい三橋葵は最初から世界出来レースを突っ走っていたので、候補に上がっていたのは是くん(葵顔のガチ神様なので)、伽さんのアークテュルスくん(星の名を冠する少年)、他にも数人トーナメントを組むには心もとない人数を並べ、どうすんだ……と悩みに悩み、伽さんに候補も意見も仰ぎまくり、最終的にHBDシリーズとしては一番の変化球であるぼくたりーずに落ち着きました。

解釈としては至極そのまま、「あなた(君)はわたしの(僕の)お星さま」です。
星のタロット正位置が「理想的な出逢い」「才能が開花する」「迷わず進む」という意味合いなのですが、ぼくたりーずひいては自分と伽さんの関係・人生をふまえ、のしぇとしてこうありたいと思う気持ちもこめて選抜しました。
正位置がいい意味のタロットは十中八九逆位置が出たとき不安になりますが、ぼくたりーずの星に関しては良くも悪くも逆位置をあまり意識せず、それは彼と彼女の「見えない人生」の部分に詰まっているのだと思います。

△4/10にあげた、全員揃った一覧

これにてno she HBD 2024ARchives of CANaAnは完遂となりました。
イレギュラーな次年度はみ出しによる終幕、それも本編のないキャラクター達でしたが、(コミティアポスターが基本的にぼくたりーずのイラスト等、露出はあるのも手伝ってか)ありがたいことに「ぼくたりーずだ!」というお声も多く、あたたかく迎えていただきました。ありがとうございます。
10年もこえてからようやく「僕には足りない彼女を探している」の「僕」部分が鮮明になり、のしぇはまだまだこれからです。
今年の誕生日シリーズでもお目にかかれればいいなと思います。これはわたしのがんばりにかかっていますが……

△楽しそう

4/10は毎年その近辺で伽さんと豪遊を楽しむことにしており、今年も4/12の土曜日にいいビュッフェに行き、横浜赤レンガ倉庫で花を見まくってきました。
花以外も色々行ったし見たのですが、見事にごはんと花の写真しかありませんでした。あまりにも食い気で生きている……

当時の赤レンガ倉庫ではFLOWER GARDEN 2025なる催しがあり、昨年もこの時期に赤レンガ倉庫へ行っていたので今年も花があるだろう! と見に行きました。
鮮やかなお花に感激して歩いていたところ、写真の通り推し活に特化させた家にも欲しいくらいのベンチがちょん……とさりげなく置かれており、三橋葵と是枝仰の創作ねんどろいどを座らせての写真がはかどりました。
それはもう、はかどりました。
わたしたちの前後にも、推しのアクスタやぬいに座ったり立ったりしてもらい思い思いの写真を撮っている方がたくさんいました。個人的にはもっとアピールしてもいいくらいに素敵かつありがたい試みでしたが、もっと人が来てもっと撮りにくくなるのも……! というかわたしが言わなくても既にバズってそう……! の気持ちがあり、揺れています。
しかし「大盛況だったし来年以降もやろうね」と企画してくださった方に思ってもらいたいので、声を大にして職場でもおすすめしました。
世界の色彩を集めたような美しい花々に囲まれて、あおあおねんねん(と呼んでいます)もご機嫌そうでした。

こうして改まって記事を書いていると、14年間も一緒に創作をしていたのか……と、非常に感慨深いです。
今も幼稚で短気で愚かな人類の末端ですが、当時は拍車をかけ輪をかけて酷かった自分と、こうしてここまでやってきてくれた伽さんには感謝してもしきれません。
今や生活も依存しています。
本当にそれはよくないと自覚しています。

わたしは今や三橋葵オタクとしてワールドワイドウェブの怪異を自負していますが、それと同居し創作も共にしている伽さんの心労は計り知れません。
ましてや知り合った当初の遠子など表情筋は動かず、言葉のウィットはガス欠ギリギリ、なんにもないのに心を骨折して死にかけ病院に入る、創作においても問題行動のほうが目立つ絵に描いたようなろくでなしでした。わたし的にはわたしが伽さんの作品が好きで、追いかけているうちに創作を共にしているという認識ですが、ここは確認したら違っているかもしれません。わたしがろくでなしのくだりについては相違があっても間違いはないはずです……
なんだかんだと、人が生まれて思春期を迎えるまでの年数、一緒に創作をしてもらっています。わたしの創作人生は三橋葵を書き出した通りの16年目ですので、ほとんどの時間は伽さんの創作と共に在りました。彼女が花束を抱え星をなぞりひとの幸せを祈りながらしあわせそうに笑っているのは、伽さんとその創作、淡白のみなさんによるものが大きいです。

伽さんの文章が好きで小説を必死こいて書き続け伽さんの絵が好きでデジタル作画に触れ、数えきれないほど影響を受けていますが、まず間違いなく伽さんがいなければ遠子は創作をしていなかったし、なんなら死んでおりました!
かつて16歳の遠子が、嘘偽りなく誇張もなく一命をとりとめたのは、伽さんのおかげです。迷惑をかけました……
月並みな表現ですが、こんな人間ながらも一緒にいてよかったと思ってもらえる相方であるよう、一緒にやっていきたいと思ってもらえるよう、これからも努力したい次第です。

そしてこのように創作を共にしていく中で、のしぇが出している作品、語っているひとびと、視ている人生を、大変多くの方に見守っていただいていると感じます。
イベント参加や書籍制作に精を出し始めたのは本当にここ数年のことですが、それよりもずっと前からのしぇを知り愛してくださる方、最近知って愛してくださる方、すべての方に支えられ、励みをもらって創作しています。本当にありがとうございます!
いつも同じことばかり申しておりますが、これからものしぇはどこかにいる誰かの人生と生活と思想を描いていきますので、知らない人の人生話を覗き込むように、お付き合いいただけましたら幸いです。

15年目ののしぇもどうぞどうぞ、よろしくお願いいたします!

遠子

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