群青と反響

 その楽曲はツイッターでバンドのライブ日程を告知したあと、自分のアカウントに引っ込んで、何を投稿するでもなく、大して数もないツイートの群れを下からのぼっている最中に出てきた。
 バンドを組んでいる二人のうち、片方がリツイートしたものらしい。社交的なほうと社交的じゃないほう、と切り分けたとき間違いなく後者の人間が拡散していたので、珍しい、と動画を再生することにした。
 ――聞いてから、曲が収録されているアルバムを出す、という告知内容を確認するまで、自分でもほとんど無意識だった。追いかけているアーティストのトレーラーを聞いたときにもよくある。せっかくだから他の曲も聞いてみようと投稿動画を遡ろうとして、思い出したようにそのアカウントを「要確認」という非公開リストに入れた。

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「――群青に跳ねる音って、昨日と今日で、まるきり同じ線を描くわけではないですよね。自分の毎日が、どれだけ変わり映えしなくても、一度だって完璧に同じだったことがないように」
 ステージ上の彼女は、そんなことを言いながらギターを構えた。一人だけ高いところに立っているのに、俺たちすべてが見えていないような、静かすぎるほどの眼差しで。遠くから語りかけるような、穏やかさで。
 彼女のMCは短いが、いつも世界と音楽を肯定していた。良い悪いの話ではなく、在ることを受け止めていた。隅に立って声を聞きながら、感心したものだ。きっと世界の汚さをどれだけ目の当たりにしても、どんな人間が音楽に匙を投げても、彼女は音楽のすべてをただ愛しているし、信じている。
 俺はこの世には音楽があふれすぎていると思うし、その中で本当に美しいものというのはとっくのとうに発見され、分析され、手を加えられ、数えきれないほどの人間に届いていると思う。俺たちが出来るのは使い古され、慣れ親しまれ、誰もが無意識に知っているであろう美しさを、どれだけ退屈させずに引用するかだ。本当に美しいものなんて、きっと誰もが知っている。
 俺たちが頭から離れない、と思っている旋律は、何度も繰り返し口ずさみ指を動かしてしまうコードは、先人が遥か昔からこうすれば美しい、と見出してきたものだ。
 それでも彼女は愛している。初めてピアノを叩く子供のような純真さで、音楽はたった12の音から生まれる規定の美しさではない、と。だから俺のような皮肉屋の聞き手も、愛せる気がするのだろう。彼女の奏でる群青を。12の音から生まれる、無限の反響を。

 

20220826
春波をくだく真昼 >深海線