「ほんとに、歩くだけでいいの?」
靴下をビニール袋につめこみ、靴を手に持って波打ち際を一瞥して、おなじことをわたしより手ばやく済ませていた高嶋永句を振り返る。海を目前にはしゃいでいる永句ちゃんは「うん? そうだよ」と、なんともふしぎそうに首肯した。ふしぎなのはわたしのほうだよ。そうは言わず、「そっか」とうなずいて砂浜を踏みしめた。かわいてすべすべした砂が指の隙間にはいりこむのを感じる。
つぎのアルバムにいれる曲にひねりがほしいから、一緒に海を歩いてほしい。年下の友人のような、しかしてしっかりふたつ歳上の彼女がわたしに頼んだのは、そんなことだった。生きているだけでみるものふれるものすべてに音楽を感じとる彼女でも、インスピレーションや刺激を求めることがあるのか、とちょっとびっくりして、とっさに「いいよ」と言ってしまった。その日でたばかりの高嶋永久――永句ちゃんのアルバムを買っていた最中のことで、もうつぎのアルバムについて話すのか、と速度感に追いつけなかったのもある。
ちょうど鎌倉のあたりで遠縁が喫茶店をやっていたので、事情を話し泊まらせてもらい、海辺で直接落ちあった。きょうの永句ちゃんはギターケースも背負ってないし、ステージ上ではあまり着ていない薄布のワンピースを着ていた。背が高くすらりとしているので、春先の静かな海はよく似合う。彼女が歩いて布が揺れるたび、芍薬の匂いがした。ふと眺めた横顔は空虚なほどに研ぎ澄まされてうつくしい。
所在なく、水平線を横目に歩きながら、「刺激になる?」と問いかける。波の音と潮の匂いに紛れそうな、だけどはっきりした「うん」という声が、わたしの耳に届く。
「葵さんが歩いてるのを、みたかったの。わたし、花に詳しくなくて。海に咲いてる花は知らないから」
「海辺の花なら、オオハマボウとか、ハマカンゾウとか……あ、そういうことじゃないね」
見あげたらまるで興味のなさそうな顔をしていたので、右手をふって話を切り替える。永句ちゃんが薄く微笑んだまま、「花だよね」とつぶやく。
「花?」
「うん。葵さんは、ときどき花」
言葉に続けて、なにかの旋律を口ずさむ。あんまり自然に歌いだすので、わたしは立ちっぱなしで彼女の透明な、おそらくは生まれたての音に耳を傾ける。音楽に詳しくないわたしでも、それが花をイメージしているのはなんとなくわかった。
彼女の歌はいつも、景色とこころを伴う。
その音はわたしにとって、花の匂いがした。