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 高嶋永句はつくづく音楽に愛されている。
 春のまるくやわらかな空気を連想させるピアノの音を聴きながら、ため息まじりに実感する。一昨日発表した新譜の一曲目、だけども既に何回聴いたかわからない。慣れた足取りで乗り込んだ通学電車の中は、新生活に浮かれたり疲れたりした、良くも悪くも春らしい顔ぶれにあふれている。そんな景色すら、ピアノの繊細な音色によって、どこか夢見がちな美しい色を纏うような気がする。あたしは自分の馬鹿正直な脳みそに呆れて、少し肩をすくめる。ドアにもたれかかって外を見ると、桜がこれまた綺麗に咲いていた。

 彼女――高嶋永句が、双子の兄でありあたしたちのフロントマンである男にデモを聴かせた日、たまたまその場にいたあたしの耳にこのメロディはこびりついた。永句にしては技巧的でもなく、テンポも緩急も激しくはないのに、脳に在る鍵盤を直接叩かれているようだった。あたしの頭にすんなりと染み込んで、焼き付いた。作曲のペースが常人離れしている永句のアルバムを積極的に買うことは無いのだけど、風呂場でも寝室でも脳裏に過る音から逃げられなくて、買った。無性に、聴きたかった。柄にもなく、渇望と呼べるほど。
 ただ、それほど心を揺さぶられても、永句には一言も伝えてない。
 永句はあたしがこの曲を何万回聴いても興味も関心も無いだろうし、あたしが例えばその表現力に歯を食いしばるほど悔しくなってても、きっとどうでもいい。ふうん、ありがとう、の一言で終いだ。
 だからこそ天上。
 だからこそ、音楽に愛されている。
 彼女自身も音楽を愛している。永句にとって、この世に音の連なりよりも重たいものはそう無いだろう。でも、あたしは音楽が愛した女だ、と思う。永句が愛するより先に、音楽が愛した。音楽のほうが恋をした。
 あたしは凡才のキーボーディストで、高嶋永句の作る音に毎回感心するし感銘も受けるけど、すごく好きでファンで彼女の音楽を敬愛している、わけじゃない。永句には悪いけれど、音楽の出来や好み以前に、あたしは天才というものが苦手だった。どれほど素晴らしい音楽でも、触れるのを躊躇うし、まぁ、ありきたりな話が劣等感だ。耳に入ればこんなにも馴染むのに、自分が考えもしないような旋律を、なんでもない顔で生み出されるのがしんどい。人としての高嶋永句は才色兼備の完璧超人なのに妙な幼さと可愛げがあって好きだけど、音楽人としての高嶋永句のことは、本能的に苦手だった。

 窓の外はあちこちがピンク色に色づいて、まさしく春爛漫。短いインスト曲であるピアノの旋律が終わり、一曲リピートの設定に従ってループする。あたしはため息をつくことも忘れて、最初の数音に耳をすませる。息を潜めて、イヤホンが流す音を聞き逃すまいとする。あたしは凡才だから、どれほど天才を忌避しようともその音に魅了されるし、いとも容易く世界を塗り替えられる。この曲を繰り返し聴くことに躊躇は無い。悔しさも無い。それが何より、悔しい。

 

20220213
春波をくだく真昼 >深海線