夏は遠く

 

 水晶を砕いたような光をまぶした海面を眺めていると、どこからか飛んできた花びらが頬を撫でていった。
 落ちていくそれを受け止めようと掌を出すと、花びらはそこが終着点と言わんばかりに、自然な動きで中央におさまる。どこに咲いているのかわからないけど、桜の花びらだ。
むかし、近所のお兄ちゃんたちと桜並木を見に行って、桜を掴もうとしたけどうまく出来なかったことを思い出す。
「葵(あおい)、どうした?」
 隣を歩いていたわたしが立ち止まったので、すこし進んだところにいた銀髪の青年――黒梨(こくり)が振り返る。海風に紛れてコスモスの匂い。同じくらいの場所にいた祥太(しょうた)――こっちは黒髪の青年も遅れて振り向き、「疲れちゃった?」と他愛なく笑う。祥太は向日葵の匂いだ。
どちらの花もどこか不安げに揺れている。
 わたしはひとに花の匂いをみる。時折、星の匂いも感じる。前者も含めて現実にある特定の匂いではなくて、どんな香水とかとも違って、うまく説明は出来ない。だけれどわたしが世界を知覚するために頼る、たしかな感覚。黒梨と祥太からする花と、星の匂いは、いつもより注意深く、心細くわたしに向けられていた。
 指先でつまんだ薄い花びらを、顔の横に持ってきて見せながら、
「なんでもないよ。見て、桜キャッチ出来たの」
 なるべくなにも意識せずに笑う、ことがなにより無意識から遠い。でも、ふたりに心配をかけている自覚があったし、安心の骨組みになりそうな表情が笑顔以外に浮かばなかった。わたしの笑顔を認めたふたりは肩と、頬の力を抜いた。花の匂いからもそれがわかった。
「そろそろ腹減っただろ。弁当作ってこなくて悪いな」
 黒梨が数歩分の距離を縮めて、わたしをやさしい顔で見下ろす。
「謝ることないよ。一緒ならなんでもおいしい」
「とは言えさ、朝飯も軽かったし。道すがらでなんか買えばよかったな」
 江ノ島駅前のコンビニで買ったカルピスのペットボトルを無意味にまわして、祥太は周囲を見渡した。水族館にも寄らずただ歩いてきた一帯の海辺は、見晴らしよく手頃なお店がないことを確認出来る。湘南といっても、さすがに春はいろんな意味で穏やかだ。時折サーフィンをしているひとや、連れ立つ春服のカップルがいるくらいで、誰かにぶつかることを気にして歩く必要はないし、同じく気軽に寄れる海の家もない。
「是枝(これえだ)さんの喫茶店、まだ行かないだろ?」
 明確に場所を把握している――行ったことはないけど、知り合いがやっている――お店はあるけど、以前もらったショップカードから察するに、いまは開店早々の混雑時間だろう。わたしはうなずいて、「もうすこしあとにしようかな」と浜辺の向こうにつづく街の景色を見やる。夏の時期より間隔は広いけど、途切れることなく車が走っていた。
「じゃあ歩きながら食べれるもん、買ってくるよ。黒梨と」
「葵ひとりにするのかよ」
「どこにも行かないっしょ?」
 眉を寄せた黒梨への反論は、そのままわたしへの確認だった。言われておなかをおさえる。腹の奥で虫が鳴いている。
「……うん。おなかすいてるし」
「ほんとに?」
「ほんとに。海見てるのたのしいし、ここで待ってるよ」
 黒梨は念押しを繰り返さず、「そっか」と顔を引く。「うまいの買ってくるから」と、やわらかくほほえんで、祥太と気持ち足早に浜辺を抜けていく。
 ひとりになると、海の匂いと風がより濃厚になった。
 なんともなしに、改めて海へ視線を向けた。水平線はかわらず、ネリネの花びらみたいにきらきらしている。夏ほど鮮やかではないし、冬ほどきんと澄んでもいないけど、春の海は空気が明るくてきれいだった。
淡い青空を映した波が、ネモフィラの色をしてゆらめいる。
 乾いた砂粒が靴に入らないよう、ちいさな歩幅で同じ場所を行ったり来たりする。
 春だから海に行こう、という祥太の言葉は脈絡も理論も欠かしたものだったけど、潮まじりの春風にさらされながら茫漠とした水を見つめるのは、なるほど気分転換になる。
わたしはここのところずっと元気がない、と言われてもしかたなさそうな調子がつづいていて、一番近くで見ている黒梨と祥太にはずいぶんと気を遣わせてしまっていた。黒梨がわたしを置いていくのを気にしていたのも、以前に比べてそういう心配をしたくなる様子に見えるのだろう。
白花のような大量の泡をともなって、波が引いていく。
前に来たときと変わらない。
わたしも、変わったわけじゃない。
 昨年の夏に実の父を、冬に母を、亡くした。自然死ではなかったし、わたし自身多少の怪我はしたものの、きれいさっぱり治って久しい。もともと彼氏ふたりの家で寝起きし、両親と暮らしていない薄情な不良娘だったので生活にさしたる変化はなく、生活に変化がないのだから心にも支障はないと思いこんでいた。いまでも思っている。
 わたしのなにかが変わったわけじゃなく、失っただけなのだ。
 自分の人生の出来事で忘れたものはひとつもないけど、とりわけ思い出してしまうものはある。幼いころに知り合って、あっという間に離れてしまったきりのお兄ちゃんたちのこともそうだ。一緒にいた時間がすくなくても、両親のこともふとしたときに想起するだろう。桜の花びらを掴めただけでよぎるように。
思い出すことしか出来ないという点では、亡くすことと離れることは似ている。こどもであればあるほど、離別を打開する糸口はすくないから余計に。
 彼らと過ごしていたとき、わたしは実際の海を見たことがなかった。いまはそんなの笑い話だ。湘南は電車一本だし、わたしたち三人の誰もが泳ぎを趣味にしないわりによく来る。黒梨と祥太とのデートに選んできた場所としては筆頭のひとつで、つい直前の冬にも、三人で桜貝を探したものだった。
桜貝って名前なのに春じゃないのかよと、寒がりの祥太が文句をたれながらまじめにピンクの貝殻を探していて――あぁ、そういえばそんなことを、お兄ちゃんたちにも話したことがあった。同じことを言ってると、祥太にも話した。思い出して口元がほころぶ。
「……あれ」
 波打ち際から一メートルほどの場所で、花びらのようなものが光を反射した。
星のまたたきみたいだ、と近寄って、ワンピースの裾をおさえながらしゃがむ。
 記憶が引き寄せてくれたのか、いましがた頬をかすめていった花びらとよく似たおおきさの桜貝だった。慎重に指先でつまんで、はりついた砂を洗おうと砂が濡れている場所まで数歩、しゃがんだまま進む。
 靴底が湿り気のある砂に沈む。
のばした髪の先が濡れないよう、後ろ髪を前のほうにまわした。
 迫る波に右手を差し出して、指先の桜貝から砂だけをさらわせる。灰茶の残滓が取り払われて、欠けもないきれいなシルエットがあらためて確認出来た。
「おぉ、なかなか……」
 ふたりが戻ってきたらみせてあげよう、と頬がゆるむ。
 腰を上げたとき、波が引くのを追うように風が吹いた。
 風に巻き上げられて、いろんな匂いがひろがる。
 潮の匂い。春の匂い。コスモスと向日葵の匂いはしない。黒梨と祥太はまだ戻らない。海に浸された砂の匂い。淡い青の匂い。

 リンドウの匂い。

「――え、」
 こんな、ところで。
 目の前には大海原だけで誰もいない。反射的に振り返る。
 黒々としたカメラを構えた青年が、呆けたような顔で立っていた。
 まっくろな瞳孔にも似たカメラのレンズが、わたしと目を合わせる。
 なにか口に出すよりはやく、海風に髪が巻き上げられて、

 ――かしゃん、

 どんな言葉より、声より、たしかに彼を証明するシャッター音が響いた。
「……楓お兄ちゃん?」
 春の青空に浮き上がる、ノウゼンカズラのような赤毛を雑にまとめた毛先が、記憶と変わらず揺れている。以前よりもそのまなざしを近くに感じるのは、わたしがもう、十歳のこどもではないから。背ものびたし、髪をリボンで結わないし、あのころからすくなくないものを失ったり、得たりした。
 七年も前のことでも、きのうの夜空と同じくらい鮮明に思い出せる。
 秋の河原で、わたしの写真を撮ってくれた。
 桜が散り、雪のようにふぶく春の日に桜貝の話をした。
 兄と呼んでいた三人の少年のひとり。
「――葵」
 記憶のままの声で、やさしく目を細めて、楓お兄ちゃんはわたしを呼んだ。
 遠くで鳥の鳴き声が、ほそく響いていた。
 リンドウの匂いがする。

 黒梨と祥太にも話したことがある。
小学四年生の夏からその次の夏まで、よく一緒にいてくれた高校生のお兄さん三人を、ほんとうの兄のように慕っていた。初恋だったかもしれないし、全然足りない淡い執着だったかもしれない。わたしも含めて誰もがなにかに縛られていて、傷つけられていて、解放からはほど遠いけどささやかな自由だった。
 わたしの写真をのこしてくれたひと。うつくしく聡明で、わたしの手をひいてくれたひと。わたしを殴るわたしの父親に真っ向から怒って、反抗してくれたひと。
 楓お兄ちゃんはいつもカメラを持っていた。
 誰かに絶えず呪われて、一瞬だって薄れることはなくて、それでも明るく笑っていた彼の首からさがっているカメラは、なにかのお守りのようにも見えた。いまもそう。
 写真を撮ることがほんとうにすきなのだと、話してくれたときと同じ。
 お兄ちゃんがわたしを映すレンズを胸元におろす。わたしは口を開いた。
「ひさしぶり。なんか、すごい偶然」
「うん」声はやわらかく、すこしかすれていた。
「お兄ちゃん、いまも写真撮ってるんだね。よかった」
「変わってなくて?」
 楓お兄ちゃんはわたしに一歩近づく。やっぱり、前よりもその目を近く思う。
「うん。……わたし、さすがにちょっと背ものびたし。髪も結ばなくなったけど、お兄ちゃん変わってなかったから」
「葵も、変わんないよ」
 近くに来たせいなのか、わたしの心のせいか、その一言がやけに鮮明に胸に届いた。
 なんて返したらいいか一瞬わからなくなって、うつむく。
「……わたしも?」
 絞り出した頼りない返答を、楓お兄ちゃんはほほえんで受け止める。
「全然変わんない。あの頃のまんま、きれいでかわいいよ」
 お兄ちゃんから感じるリンドウの匂いが、穏やかにその言葉を裏づけする。
 もう逢えないと思っていた、大事な大事なひとと逢えたのに、どうしようもなく単純で、ほんとに陳腐だけど。
うれしかった。
「一人で来てたの?」
 楓お兄ちゃんがカメラのレンズにキャップをつけながら、わたしの顔を覗き込む。
 そういえば、コスモスと向日葵の匂いがおぼろげながら感じられる。
「あ、ううん。彼氏と」
「彼氏」
 こわばった声でお兄ちゃんが繰り返したのとほぼ同時、かわいいロゴマークつきの紙袋を持った黒梨と祥太が視界の端に現れる。
 わたしの視線をたどって、楓お兄ちゃんもふたりを見る。目線が硬い。
 ふたりはふたりで、わたしが赤毛のなんか知らないお兄さんといるので、歩いてくるあいだにどんどん表情が疑問と警戒をまぜこぜにしたものになっていった。
「……しらすトースト」
「えと、どなたですか?」
祥太が神妙な面持ちで楓お兄ちゃんに尋ねる。
 黒梨がわたしにあたたかい紙袋をわたして、桜貝と桜の花びらを物々交換のように持っていてもらう。「桜貝も見つけたんだ」「そうなの、いいでしょ。トーストありがと」黒梨はズボンのポケットから、海に行くときお弁当よりもかならず持ち歩いている小ぶりのジッパーバッグを取り出してそれぞれを入れた。わたしが海に来るとなにかとものを拾うので、百均のそれを数枚ポケットに入れるのが黒梨に習慣づいてしまったらしい。
 わたしは包み紙を開いて、ほかほかのしらすトーストと対面する。視線を感じて顔を上げると、楓お兄ちゃんがこちらに目を向けていた。考えているひとのまなざしだった。
 紹介役はいまここにわたししかいないことを思い出す。
「楓お兄ちゃん。前に話したでしょう、三人の」
「あぁ」
 ジッパーバッグに桜貝と花びらを入れ終えた黒梨が、まず宙を仰ぎながらうなずく。
祥太は数秒怪訝そうにしたままだったけど、黒梨に「小学生の頃の……」まで言われて思い出したらしく、あー、と間のびした声で得心した。
「あ、お兄ちゃんでいいんだ」
 楓お兄ちゃんが安心したように破顔するので、しらすトーストにかぶりつこうとしていた口から「お兄ちゃん以外になんて言うの?」と疑問が飛び出す。
「あはは、お兄ちゃん以外ないか。そっか」
「ふたりにも話したとき、お兄ちゃんって言ってたし……」
「そうなんだ。うれしいな。えっと、ふたりはどっちかが彼氏くん?」
 後半、あきらかに声のトーンが変わった。黒梨と祥太は楓お兄ちゃんの視線を交互に受けて、どっちがその説明をするか、アイコンタクトで相談しているようだった。
「どっちも! ふたりとも彼氏だよ」
 一口目のしらすトーストを飲み込んだわたしが、代わりに説明する。ひとり対ふたりという、人数比の揃わない交際の形がめずらしいことは百も承知だったので、知り合いに関係を話すのは慣れていた。わたしは黒梨と付き合っていて、祥太と付き合っていて、黒梨と祥太は付き合ってないし友達という表現も若干違う。らしい。信頼はあるけど牽制し合う仲であることは、わたしにすらたびたびアピールされる。大事なことなのだ。
 まぁそんなわたしたちの一言で済む関係はともかく、説明を受けた楓お兄ちゃんはどんな感情で浮かべているのかわからない表情で、わたしと黒梨と祥太を見つめた。潮風に揺れる前髪の奥の目は、異議はないけど難しい気持ちもある、絶妙な気まずさを湛えていた。
「そっか。確かに、彼氏と男友達っていうのは、変だよなあ」
「――楓、大丈夫か」
 歯切れ悪いなりに楓お兄ちゃんが納得した言葉を口にしたとき、右側から風も波も押しのけるような声が空気を割った。しらすトーストをほおばりながらそちらを向くと、華やかという単語を擬人化したような金髪の青年が、ジャケットの裾を風になびかせていた。ただ着ているだけの布の動きすら、ふしぎなほどさまになって見える。
「伏見」
 近づいてくる青年を、楓お兄ちゃんが親し気に呼ぶ。
 過去に見たどんな表情とも違う、春の陽だまりのような穏やかさのある笑顔を浮かべて。
「そろそろ店も空いてくるらしい……のだが、この方々は?」
 華やかパワーのすごい青年はわたしたちの顔を順繰りに見て、楓お兄ちゃんに説明を求める。なんだか妙に見覚えのある顔だけど、記憶力だけが取り柄のわたしのことだから、なにかで見たことのある顔をデジャヴしてるだけ……なのかな。これだけ目立つ金髪に赤みのある目、知り合いにいたことはない。
(でも、金木犀の匂いがするんだよなあ)
 まじまじと伏見さんの顔を見ていると、楓お兄ちゃんがわたしの様子に気づいたようで、「伏見はね、俺の友達」と軽やかに話す。
 同じように友達と紹介された青年――伏見さんに向き直って、
「この子、妹。ばったり会ったとこでさ。そんで彼氏くんと彼氏くん、なんだって」
「……ふむ? 今。彼氏さんが二人いたが」
「二人であってる。でしょ? 葵」
 話を振られて、目を見開いたままぶんぶんうなずく。伏見さんは「そうか……似ていないが、かわいい妹さんだな」と、これまた口をおおきくも開けていないのによく通る声で答えた。生来声がおおきいひとなんだろう。海辺では助かる。
「楓さん……と、ご友人は、このあとどっか行くんですか?」
「そうなんだ。俺の友達がやっている喫茶店にな」
 祥太の質問に、出逢って数分内の伏見さんのほうがはきはき答える。
「三人はどうするんだ?」
 伏見さんの快活な笑顔に若干気圧されながら、黒梨が口を開く。
「俺達も、知り合いの方がやってる店に行こうかって思ってたところで」
「そうなのか! このあたりにあるお店か?」
「えぇ、まぁ。行くのは初めてなんですけど、葵が前にショップカードをもらってたんで」
「なんてとこ?」
 楓お兄ちゃんの声には、なんとなく予感がにじんでいた。
じつはわたしも。
「喫茶(きっさ)翡翠糖(ひすいとう)、ってお店」
「お!」「へー?」
 伏見さんと楓お兄ちゃんが、それぞれ声をあげる。
「俺達もそこ行くんだ。偶然って重なるもんだね」
「やっぱり? いま、そうかもって思ってたの」
「せっかくだし、一緒に行こっか。初対面だらけだけど、伏見と彼氏くんたちがよければ」
 楓お兄ちゃんの提案を、わざわざ断る理由は誰も持たなかった。しらすトーストを食べ終わってたたんだ包み紙を、黒梨が「もらおうか」と言ってくれる。甘えることにした。横にいる祥太は「緊張する……」とあくびをしている。黒梨があからさまに呆れていた。
「説得力ないにも程があるだろ」
「いや、緊張してても眠いもんは眠いじゃん。生理反応だし」
「緊張してるときに眠くなれたことないけどな、俺……」
「まぁまぁ。お店についたら休憩出来るから、もうちょっとがんばろ」
 わたしたちが話している姿を、楓お兄ちゃんは穏やかな顔で黙って見つめていた。
 光る水平線のほうから吹く海風に、背中を押されて歩き出す。
 黒梨と祥太は気を遣ってくれたのか、単純に話し相手がひとりでは声量的に心もとないと思ったのか、ふたりで伏見さんとの会話を引き受けて、わたしと楓お兄ちゃんの前を歩いてくれていた。
「仲いいね。彼氏かあ……」
 道路に向かって砂浜を踏みしめながら、楓お兄ちゃんが感慨深げにつぶやく。
「知り合いが知らないひと連れてたらびっくりするよね、ごめん」
「いや、葵が謝ることはなんもない。彼氏くん……黒梨くんと祥太くんも、全然ない。俺が単純に、妹の成長に衝撃を受けてしまったというか」
「妹の成長に」
 ほんのさっきまで七年ご無沙汰していた間柄とは思えない、地続きの兄の声音だった。
 うれしいし、すこしくすぐったくもある。
「わたしも、楓お兄ちゃんが瞳(ひとみ)お兄ちゃんでも祐樹(ゆうき)お兄ちゃんでもないお友達連れてるの、ちょっとびっくりした」
「それは、そっか。確かにね」
 わたしが知っている楓お兄ちゃんは、いつも決まったほかのふたりと一緒にいた。三人は仲のいい友達だったと思うし、わたしの中では出逢いの日も別れのときも、三人が同じ視界にいた。ばらばらに逢うことはあったけど、一年の中で四人目はついぞ加わらなかった。
離れてからどうしているのか、聞けば話してくれる気がしたけど、いま質問するつもりはない。わたしだって聞かれても、すぐ上手には話せないだろう。
楓お兄ちゃんの顔を覗き込む。
どうしたって、あのころと同じ目線にはならない。
「わたしとお兄ちゃんが変わってなくても、変わったこともあるよね」
「そりゃそうだ。結構経ってるし?」
「七年くらいかな」
「え、マジ、そんなに?」
「わたし、あのころのお兄ちゃんたちより先輩になったよ。この春から高三です」
「あー、そっか、そりゃ彼氏の二人や三人いるわ」
「ちょっと多かったかな」
 いまよりもこどもだったわたしと、いまよりも少年だったお兄ちゃんには、こんな軽口を言い合う余裕がなかった。世界はうつくしかったけど、そのぶんせまくて、無力だった。
たのしい出来事もあかるい思い出もあったけど、でも、逢わなかったあいだに失ったものと得たものが、苦みと苦痛ときらめきが、わたしたちをすこし大人にしている。
知らないひとを互いに連れて、海に来ているくらい、変わっていて。
七年ぶりでもすぐにわかっちゃうくらい、変わってない。

 数歩ぶん小走りで進んで、楓お兄ちゃんを振り返る。
潮にまぎれて花の匂いがする風に、ワンピースがはためく。
「ねぇ、お店についたらお兄ちゃんの写真見せてね!」
 楓お兄ちゃんは少年のようにきょとんとして、リンドウが咲くように笑った。
「なにから、見てもらおうかな」

 

written by Tohko KASUMI