拝啓 続くお前たちへ

 

 とりあえず、俺にとっての三人について話をさせていただくとする。
 葛楓。こいつは高校生の頃の友人で、音信不通だった。日吉(ひよし)祐樹。中学高校と一緒だった友人で、音信不通だった。是枝──今は三橋(みつはし)だったか──三橋葵。これは彼女が俺達に比べてかなり幼かったことにも起因するが、音信不通だった。
 俺、冴(さえ)木(き)瞳。電話番号もメールアドレスもその他いかなる連絡先も変えていない。音信不通というのは、連絡不可能という意味だと俺は判断している。連絡先を変えておらず、相手に連絡先を伝えてある。よって、あいつらにとって唯一音信不通ではないはずの存在だった。ただし、相手が俺の連絡先を紛失している場合は、除くことになるが。
 このネットワークの発展した世界で、誰とでも連絡を取ろうと思えば取れるだろう世の中で、行方をくらませるのは難易度の高いことだろう。一方で、探そうともしなければいともたやすく誰をも見失うことができるのだろうと、俺は思う。俺が果たして音信不通となったあいつらに大きく働きかけたのかといえば、全くそうではないからだ。であるからして、俺は俺で、あいつらを音信不通と判断する頃合いが早すぎたと、言えるだろう。泥水を啜っても探し出そうとは、していなかった。そう、自覚し、自白できる。
 だからこそ、今、俺の目の前に転がるすべての音信不通〝だったもの〟たちについて、ありえもしないご都合主義を感じている。そうだ、全て、音信不通〝だった〟のだ。そんなことがあっていいものかと、思って当然だろう。何の努力もせず、労力もかけず、必死さも切実さもないまま、俺の手の中にあの頃の人間たちが戻ってきたりなど、するわけがない。俺への、罰が、足りていない。

 その違和感にも似た胸の内の焦げ跡を抱えながらも、俺はそのうちの一人である日吉祐樹に連絡を入れていた。入れざるを得なかった、という方が正しい。そうでなければ俺から連絡をとることはできなかったと思う。用事もないのに連絡をするという感覚をついぞ得られないまま大人になった。俺の周りの人間が、用事もなく俺に連絡をとるから、無自覚であったが。
「そ、そうなんだ……」
 俺の話を一通り聞いて、そいつはつぶやくように応答した。眉を下げて安堵と心配のどちらもを両立させたような顔をきっとしている。声音がそうだ。一回、会ったきりでそのあとは文章と音声だけのやりとりだったが、表情の作り方はそこまで変わっていなかった。少し、笑うのが自然になっていた、ような気はした。
「許せないな……」
「どういう感情?」
「ごめんなんか……カンで……」
「どれへの感情?」
「楓……?」
 なんでだよ。俺は突っ込むとともに、その宛先不明で差し戻し確定の感情を日吉に全返しして、長くなりそうだった話題を切り上げる。日吉は電話の向こうで何かを言いたげな顔を──やはり、勿論、顔は見えないが──、しているだろう。

 俺は高校を卒業し大学に入りその後無事卒業し当然のように就職もした。もうきっとあの頃の何かが進展することなどないと、理解していた。
 大学生活は思っていたよりも充実していたと思う。もちろんその場でも俺は飛び抜けて、一際、格段に、いや認めよう、最も美しい見た目をしていたが、俺の選んだ学部は自分の見た目にも他人の見た目にもあまり気を使わないやつばかりだった。ある種、人によっては地獄と称してもおかしくない環境だっただろうが、俺はその学部の中で、頭が良くてすごいやつ、であって、美人ですごいやつ、ではなかった。
 三年に上がるあたりで、一人暮らしも始めた。できるだけ親に迷惑をかけてやろうと思っていたのもあるが、そんなことより家に帰れない量の課題があったことに起因した。学部の奴らの家に泊まるのも、研究室に泊まるのも、限度がある。俺の衛生観念では、これ以上は無理だと判断した。そもそも親に迷惑をかけてやろうと思えていたのは大学に入るまでのことで、入ったあとはそんなこと思わなくなっていた。あれだけ俺をレールに乗せたがっていた父親は、ぞっとするほど何も言わなかった。俺がすでにレールから外れたからか、自分が父親のレールから外れることにしたのか。あるときから新聞を読むことをやめた父親に、俺が何かしてやれるはずも、ないだろう。

 つまるところ、ありきたりで、当然の生活を送っていた。
 もう二度とあの間違いをしないようにしようとすら思っていなかった。もう二度とあんな劇的で、最悪で、血反吐を吐くような茹だる夏に、遭うこともないだろうと確信していたからだ。
 つつがなく、そつなく、こうやって俺は大人になっていくのだと気がついてからここまで、早かった。だからこそ俺は今、今、この状況に納得が行かない。

 まず、俺と葛との音信不通の終了は、昨年の夏から秋にかけてであった。
「もしもし?」
 気軽になんでもないようにかかってきた非通知電話の先で、その逃亡者はなんの気もないような声音で俺のことを茶化すようなことばかり言った。今、そいつは、根無し草の放浪の旅に両足を突っ込んでいると言う。
 葛は、かなり面倒な人間から好意──正しくは、本人は好意と思っているが周囲から見たら非常に行き過ぎた執着──を抱かれていた。幼馴染で、べたついた声をしていて、一般的に見れば薄幸の美少女の顔をしている、女だった。俺は高校の頃、その女から葛を引き剥がそうとして、失敗した。俺達は負けたのだ。
 俺から連絡をとることが葛を阻害する。葛が可能だと判断し行動するときでないなら、こちらから何かを働きかけるのは悪手だ。そう言い訳しながらも自身が抱えているものが学習性無力感と無縁であったかと問われれば、そうでないと言い切ることはできない。連絡先は全て変更されていたらしかったので、そもそも俺から連絡を取るのは不可能に近かったわけだが、それすら知る余地のないほど完全に連絡を断っていた。
「日吉でも、探してみようかな」
 その通話の際に葛が言った言葉が、俺のことをあの頃の山のような後悔の上に引き戻したと言える。俺は蜘蛛の糸にぶら下がっているだけだ。本当は、戻らなくてはならない。

 日吉は葛よりも多少前に、音信不通となった友人だ。高校三年の夏に自殺未遂を起こしてどこかに送られて、それっきりの男だった。
 死のうとした人間というのは不可侵なものとなるらしく、あいつが転校したっきり名前を聞くことも無かった。俺ばかりがその名前を口にし続けるのは呪いのような気がして、いつしか胸の内でしか呼ばなくなった。その名を表す音が俺の鼓膜に、聴神経に、届くことはなかった。葛の口からその名前を聞くまでは。

 先述の葛の連絡から程なくして、俺はもう一人、俺の連絡先を知っている知己の存在から連絡を受けることになる。偶然と言っていいものか、運命的と言ったほうがいいのか、都合が良すぎる夢でしかないと切り捨てたほうがいいのか、判断はできない。
「冴木の電話であってるかな、」
「先生」
 肯定を込め迷うことなくそう返すと、そういえば本当に先生になったんだよ、と笑って教えてくれた。
 その人は、俺の高校二年生のときの教育実習生であり、俺が唯一頼ったことのある先生と名のつく存在だった。たった数週間しか一緒にいなかったその人に、俺は途方もない迷惑をかけた。日吉が死にかかったときに、俺がすがりついた相手。それが彼末(かのすえ)先生だった。
 彼末先生としては──ハッキリとそうとは言い切らなかったが恐らくは表沙汰にしたくないような複雑な感情を伴って──、どうしても日吉のことが気にかかったのだという。教員にあるまじき、個人的な思い入れがあったからだと自嘲していた。俺にはその姿が、どうにも眩しくすら見えた。
 一頻り雑談を終え、先生はほんの少し黙る。本題は別にあるのだとわかっている。先生からの連絡にちらつくのは日吉の最後の姿だった。先生が神妙に切り出したそいつの名前に、俺は覚悟しなら頷いた、はずだった。
「日吉が」
「はい」
「冴木に会いたいって言ってるんだけど」
「……、……はい?」
 決してそいつが死んだと思っていたわけではないが、俺にとって最後にみた日吉が血まみれであったことを鑑みれば、不謹慎とはいえ、この感想は糾弾されるほどの感想ではないと思う。そも、決してと言い切っていいかもしばしの逡巡を挟むほどに、真っ赤な風呂桶に片腕突っ込んで真っ白な顔をしていた日吉の姿は、俺にとって夢に見ては飛び起きるような鮮烈さを持って焼き付いている。俺には写真を撮る趣味はないが、俺にとってあの場には、切ってしまったシャッターがあった。

 結論。日吉祐樹は、生きていた。
 感傷的かつ最悪で情緒も何もない再会については、ある程度まで割愛させていただく。日吉のとりとめも全くない言葉たちを全部載せていたら紙が足りない。その要領を全く得ないそいつの説明を、俺は何時間だって聞いてやった。手元のアイスをすべて溶かすようなやつのままで、手首の傷は、塞がっていた。
「今は先生と暮らしてて」
「すげえ話だな」
「先生がね。すごいのはね」
「それはそうだ」
 遠くに住んでいるわけでもないらしかった。先生がこのあたりの教員をやっているなら当然のことだが、俺にとって完全に透明なものとなっていた日吉のことを、どこか遠いところに居るように感じるのは、比較的自然なことではないかと思う。

 その日から、ほんの時々連絡はとっていた。大抵は日吉から連絡が来て、俺が数回返事をするようなものだった。このことを葛に伝えてやらなくてはならないと考えはしたが、全くその手段がなかった。葛は連絡をよこすがすべてが一方的なのだ。非通知だったり、その上こちらが聞き出す前に切ったり。
「葵に会ったんだよね」
 偶然も運命も逆にどうでもよくなった。半年ぶりの連絡の開口一番がこれだ。間髪入れず俺も日吉に会ったとでも返せればよかったが、あいにくと俺はそういった反射は鋭くない。葛はそれだけ伝えてきて「あとでもっかい連絡するね」と言って俺の返答もほぼ待たずに切った。切るな。勝手に。いつも勝手だなお前らは。日吉が「とばっちりだ!」と言うような気がしたが、お前も勝手だ。

 そうして、今である。
「俺は葵に会いに行こうと思ってる」
「楓のこと無視して……」
「いいだろもうあいつが俺達のこと無視してんだよ」
「してないよ!?」
「してるだろ」
 日吉はあまり煮え切らない様子で、ううんと唸った。俺はそいつが次の言葉を切り出すまで、おそらくかなりの秒数を要することを知っているが、黙って次の言葉を待った。
手元が暇なので、家に持ち帰ってきた生徒の答案用紙をデスクに出す。家には食卓とデスクを分けて用意しており、机上にはノートパソコンと必要最小限の筆記具を置いている。
 しゅ、しゅ、と赤ペンで丸をつけ、不正解のところには小さく点だけ打つ。あまり大きくバツをつけることを俺はしない。問題と答案が読みにくくなるべきではないからだ。
「俺、ちゃんとしたお兄ちゃんじゃないからなあ」
「お前がちゃんとした兄だったことはないだろ」
 点を、打つ。空欄ではなく、そこには苦し紛れの√2が書き込まれている。ルートの概念が全く出ない問題だったが、まあ、いいだろう。適当を書くくらいなら空欄にしたほうがマシか。どちらがいいのか賛否はあるだろうが、今回はここに何か数字を入れたことを評価しよう。小さく三角を書く。
「それより、三人揃わないほうが問題だと俺は思う」
 空欄よりは、苦し紛れでも√2を書き込んだほうがいい。全くそれが正解でなくて、正しい成長の末でないとしても、ないことにしないほうがいい。
 あのときの少女に対する唯一、今からでも示せる誠意だ。変わらず、ありきたりで当然のように、生きてきたのだと。その答えを渡す日を、どこかに求めていた。少なくとも俺は、今でも。

  ◇

 翌週。
 俺は葛と待ち合わせることになった。学生の頃によく通っていたチェーン店だった。もちろんあの頃とは異なる店舗であったが、メニューが大きく変わらないためか、店内に入るとあの頃と同じ匂いがした。
 この日の目的は顔合わせだった。葵に会いに行くとなれど、俺達までその場を再会の場にするわけにはいかない。幾度か連絡はとったものの──その全てが一方的であったため連絡とは葛の視点に非常に寄り添った言葉だが──連絡を再開したあとで直接葛と顔を合わせるのは初めてだった。
 おそらく先に来ているはずだ。俺が待ち合わせ時間を提示したとき、少し先に入っていることにすると本人から聞いている。店内を見渡す。逃亡中の身の上と聞いていたし大きく見た目が異なっていたらわからない可能性もある。服装の一つでも共有しておくべきだったか。脳裏に一瞬後悔がよぎるが、すぐさまそれは杞憂となった。
 高校の頃に見慣れた男の後ろ姿があった。赤みがかった少し癖のある茶髪。背格好、姿勢。見知った姿。何名様ですかと尋ねる店員に、待ち合わせだと告げ、一歩中へ進む。テーブルの上が見える。すでに四皿くらい並んでいる。背後からの来訪者に気がついてはいないらしく、三種類のパスタを代わる代わるで食べていた。胃袋も高校生の頃から変わっていないと見た。
「葛」
 と、後ろから声をかける。パスタ皿を持ったまま、葛が振り向く。本人の喉にはおそらく「おお」とか「冴木」とかの身近な応答を用意していたはずだ。

「え」

 長さをそのまま、葛の喉からは用意していなかったはずの音が漏れる。パスタの皿を取り落とさないのはさすがと言うべきか。一度テーブルの方に向き直って皿を置き、もう一度こちらを見る。正確には、俺の後ろに立っている人間を。
「幽霊?」
「え、そうかも」
 な、わけないだろ。俺の半歩後ろで顔を出しながら自分の頭あたりを触っている日吉を小突き、葛の前の席の奥側に座らせる。小突いた先にはきちんと実体がある。指先が当たり、若干の体温がそこに存在する。生きていやがる。俺はそのまま日吉の隣に座り、今一度葛を真正面から見据える。
 日吉はそわそわしながらすぐ脇に立てかけられたメニューを広げようとしていた。広げる場所をとるために並べられているパスタを葛の方に押し返している。コミュニケーションの順番がこいつにはない。

 葛は押しのけられたパスタ皿を自分側に揃え、もう一度フォークを取り、肘をつき、その矛先を俺にピッと向ける。
「いや、どうなの」
「向けんな」
 俺は指差しもせずそのフォークとフォーク越しの葛を睨む。すぐに葛はフォークを置き、ついでに脱力して背もたれに行儀悪くもたれかかった。もたれるためにあるとはいえ、そういう姿勢は食事のときに取るべきではない。はああ、と、葛の口から空気が抜けていく。
「言ってよ」
「言いかけるたびに勝手に切ってたのはお前だ」
「どんだけ無駄でもかけ直して」
「かけ直すほどのことじゃないだろ」
「待って! もしかして俺に失礼じゃない?」
 いそいそとメニューの番号を確認していた日吉が、自分への火の粉にやっと気がついたのか抗議の意を示してくる。あはは、と葛が声を出して笑った。
 ああ。と、俺は思う。もっと変わりきっていたのならどれだけどうでもよくなれていただろう。どうでもよくなれれば、一般的に言う、前に進むことが容易になっただろう。一般的な進むべき道というものがある。俺の中に確かに生まれてしまったレールだ。これを自分の中に見出すとき、自分の中に父と同じ価値観が生まれていると気が付き、胸が重たくなる。そこに降って湧いた、これが、傷口だ。消し飛ばしたはずの、傷口だ。

 日吉はミラノ風ドリアとティラミスを、俺はジェノベーゼパスタを頼む。横から葛があれやこれや言い、追加でハンバーグとミートソースパスタとミネストローネと青豆のサラダを追加する。「あとこれも!」と日吉がフォカッチャを追加した。ドリンクバーもつけ、注文を決定する。ファミレス富豪の机への決定ボタンだ。
「で、まあ葵と会ったのは……」
「じゃ俺、間違い探しやっておくね」
「会話に入れや」
「逆でしょ! 間違い探し手伝うねだよ」
「二度と説教すな」
 間違い探しの結果は俺5、葛4、日吉1であった。日吉は自分が見つけた1に非常に感動していたので、直前に俺が目に止めつつも日吉を誘導したということはご放念いただきたい。

 共通の言語がまったくない状況の割に、俺達は随分と上手に会話した。今どうしているのかの話をするとき、全員が全員、少しだけふざけた脚色を入れていた。それが俺達に空いた時間の形だ。
 日吉が彼末先生と暮らしていること、俺が塾講師になっていること、葛がカメラを持ったままであること。日吉が先生と交際していること、俺が後輩にかなり慕われていること、葛がやっと東京での仕事を入れられたこと。ちなみに葛の無人島ロケの話だけは、どこが脚色かわからなかった。

 ひとしきり、話したと思う。追加の追加の追加で来たデザートまで食べ終わった。もっといくらでも話せたとも思うが、俺達には明日があり、明後日があり、そして最も必要だった話は開始十五分、それこそ間違い探しを日吉だけがやっている間に済ませた。そろそろだと思い、俺は「行くか」と言った。葛は「そーね」と言い、日吉は若干眠そうにしていた。寝るな。絶対に寝るな。
 当然のように伝票を持とうとすると「待って、いくら」「そうだそうだ!」「え」腕を掴まれ席に戻される。葛の力は思っていたよりも強く、日吉は単純に加減を知らないために、俺はぽすんと無様な音を立てて席に再び座る羽目になった。
 二人して伝票を覗き込み、日吉が指さししながら数字を読み、葛が電卓のアプリを立ち上げて打ち込んでいる。俺はその様子をなんだかびっくりしてしまってぼんやりと眺める。
「パスタこれも俺か、これも、あー、これもだな」
「この店で五千円食うことあるんだ」
「割と普通よ、俺、普通」
 一通りの計算が終わったらしい二人は、自分の財布から紙幣と小銭をばらばらと出し、俺の方に手を出す。
「はい瞳、千五百円だよ」
「俺まとめて払うから出して」

 店の外に出ると、生ぬるい風が吹いた。ぬるく、繁華街の匂いすらする風だったが、肺に入ると少し頭がすっきりとした。店に入ったときには夕方だったが、すっかり暗くなっていた。日が長くなった。
 日吉は俺に先立ってドアをくぐり、俺のすぐ後ろから葛が出てくる。大通りに面しているため、人通りは多い。日吉はそんなことを気にもとめず、大きく伸びをしてから振り向いた。道行く人のほうが少し避ける。避けられたことに気がついているのかいないのか、一歩だけこちらに戻ってきた。薄暗くなり、看板と電灯の明かりばかりでは、傷跡は見えなかった。

「葵ちゃんに、会いに行こうねぇ」

 日吉は本日の中でも一等上機嫌そうに、言った。お前が、言うのかよ。いつだって、いつだってそうだったかもしれないけど、お前が今それを言うのは──これが正しい言語化でないことは認めるが──、ずるいだろう。俺はなんと言ったらいいか考えあぐね、葛にパスしようと振り返る。
 葛は、どっから取り出したのか、カメラを構えていた。その姿に夏の空が、春の花が、秋の風が、冬の死が、脳裏をよぎり、容赦なく俺の意識の容量を食う。ぐいっと俺の袖が引っ張られ、通りに一歩出るかたちとなった。引っ張ったのはもちろん日吉だ。不思議と人が、一瞬途切れた。
「ほら瞳! あっちみて! ピースして!」
「まじでお前、いつまでもだせえんだよ」
「あっはは、ダサくてもいいって。はい、チーズ」

 

written by Togi