あおい細紐

 

 頭の左右に毎日結わえているリボンは、もともと文月さんのすすめでつけていた。
 黒い髪をながくながくのばすのも、膝丈程度のワンピースを着ているのも、文月さんがそうしたらいいと言ったのだ。たしかに髪が短くておとこのこのような服装だったら、いくら胸がふくらもうとおんなのこであろうと、要さんからの暴力はちがう色を帯びていただろう。だから、それ自体はとても名案だったと思う。
 わたしがリボンをたらし、ワンピースの裾をはためかせて歩くなんでもない様子を、とりわけ祐樹お兄ちゃんがかわいがってくれた。自分ではすこし、おさなくないだろうかと思うけど。鏡の中でわたしはいつも点々と散らばる痣や傷に困った顔をしていて、自分の目鼻立ちにそれが似合っているかどうか、じょうずに判別出来ない。わたしの容姿は家のひとたちと比べなくても平凡で、とくべつに愛らしくも華やかでもない。
 白いリボンが学校でぷちんときれてしまって、しかたなく両方をはずしてまっすぐのばした髪だけを揺らしていた日。休み時間に鏡の前で手ぐしをしながら、首をかしげた。
 みるべきところのない、凡庸なこどもが、ひどくつまらなそうにこちらをみている。
 どこが似ているんだろう。
 どうしてそう思うんだろう。
 わたしには、目の前のつまらない顔をむすっとさせているこどもは、わたしにしかみえない。

 梅雨どきの、めずらしく晴れた日。アガパンサスが咲いている学校から駅前までの道を歩いて、商店街の花屋にならぶ紫陽花や芍薬をみていた。ほこらしげに咲く花弁の色がきれいだ。花屋のおねえさんは毎日のように花をみにくるわたしを邪険にせず、きょうはたまたまお客さんもいなかったので、「きれいでしょ」とわたしの相手をしてくれた。痣にはふれないよう、やさしい声と笑顔を浮かべて。
 まもなくお兄ちゃんたちがやってくると、おねえさんは「おにいちゃんたち来たね」と首をかしげた。ちょうどお客さんがブーケをつくりたいと相談してきたのもあって、わたしはおねえさんに一礼してから、お兄ちゃんたちのもとへみじかい距離を駆ける。
「あれ、葵ちゃん、リボン……」
 平然としているわたしをよそに、顔をあわせた祐樹お兄ちゃんはおろおろとしていた。「学校で、切れちゃったから」と端的に説明すると、なんだかほっとしたように、
「あっ、いやになっちゃったんじゃないんだね。よかった」
 つぶやいて、ほっこりはにかむ。ゆるやかなチューリップの匂いがますますやわらかくなる。そのあと道のすみに寄って、三人でなにか話しこんでいるのを、わたしはぼうっとみあげていた。ながい髪は普段ならリボンで一部だけを結っているのだけど、きょうはすこしでも風が吹けばばらばらと逆らわずになびくから、右手でそっとおさえる。膝ほどまでのばした髪は、どことなくお兄ちゃんたちの方向へたゆたう。わたしよりも髪のほうがお兄ちゃんたちを恋しがっているようだ。
 三人の話はみじかい時間で済み、楓お兄ちゃんがぱっとわたしを振り返って「葵、リボン買おうか」とはじけるような笑顔を浮かべた。
「リボン?」
「俺たちが選んだやつ。あげてもいい? 葵のおとーさん、そういうのわかるタイプ?」
「……たぶん、わかんないタイプ」
「じゃあ、あげてもいっか。そんな高くないし」
「買うのは俺だろ……一文無しが……」
 瞳お兄ちゃんの声と表情は、不機嫌を通りこしてあきれている。
 祐樹お兄ちゃんはお金をもらえていなくて、楓お兄ちゃんはほとんどのお小遣いをカメラとエネルギー……つまりはごはんにまわしているとかで、ちょっとした買い物は瞳お兄ちゃんがしてくれていた。一度顔にひどい擦り傷があったときも、瞳お兄ちゃんがガーゼや消毒液を買って、だまって手当てしてくれた。
 とは言え瞳お兄ちゃんが度をこえて裕福なお坊ちゃんなどでないこともわかりきっていたから、わたしは「……たいへんじゃない?」と瞳お兄ちゃんをみつめる。わたしの髪にくくりつけているリボンがいくらするのか、買い物をほとんどしたことのないわたしには見当もつかなかった。
「お前は気にしなくていい。日吉は……ともかく、葛のぶんはあとで請求するから」
「……そっか」
 祐樹お兄ちゃんが瞳お兄ちゃんに、お礼と謝罪をつぶやいて、瞳お兄ちゃんがそんなものはいいと言いたげに首を振る。あぁ、ふたりはともだちなのだなあと、とつぜんそんなことを思う。いまさら。
 祐樹お兄ちゃんを真ん中に、同じクラスの楓お兄ちゃんと、昔から友達の瞳お兄ちゃん。三人はいつも一緒にいるわけじゃないし、とくべつべったりともしていないけど、険悪そうなところもみたことがなかった。
ただ、瞳お兄ちゃんと祐樹お兄ちゃんのあいだにはたゆたうような信頼があって、瞳お兄ちゃんと楓お兄ちゃんの仲は比較的さっぱりとしてみえて、楓お兄ちゃんと祐樹お兄ちゃんが向けあう視線は、わたしが知ってはいけないもののような気がした。
 ふたりじゃなくて、わたしが、勝手に傷ついたりしないように。
 わからない。
 わからない、けれど。
 わたしは注意深く、三人を含めたあらゆる他人に、友達や恋の話をしないでいた。最近は同級生のおんなのこたちもどんどんすきなひとの話をし始めて、隣のクラスの山科くんはかっこいいとか、うちのクラスの鹿又くんはやさしいとか、そういうのをおんなのこ同士で共有するのだ。みためがひどいわたしに友達はいなかったけれど、こないだクラスの話したこともないおとこのこに「昨日是枝さん、高校生といなかった?」とたずねられた。緊張した声で「……お、お兄ちゃん」と答えて以降、わたしはまたも肩をちぢめて背を丸めて、めだたないように、と意識をつよくした。
 お兄ちゃんたちに迷惑をかけたくない。
 けど、一緒にもいたい。
 多分、言わないのが一番いいし、悟られないのが一番いい。一度なにかが起きて関係が変わったら、こんな風にゆるゆると、四人で過ごすのはむずかしいように感じられた。
 わたしはまだこどもで、なにも出来ないし。
 三人の誰とも、とくべつな繋がりはなかったから。

 祐樹お兄ちゃんと手をつないで、駅ビルにはいっている手芸屋さんに向かう。街は晴れているけれど、梅雨特有の湿気に満ちていた。前に文月さんがリボンを買ってくれたのもこの店だから、わたしが道案内をする。
 道中、祐樹お兄ちゃんは楽しそうにわたしに笑いかける。
「葵ちゃん、どんな色が好き?」
「色は……なんでも。白いのも赤いのも、青いのもすき。服とあうほうがつけやすいけど、わたしは服もそんなにカラフルじゃないから」
「今日つけてたのって、何色のリボンだったの?」
「えっと、白」ランドセルのポケットから、ほつれたリボンを取りだす。するりとあらわれた細く白いそれに、祐樹お兄ちゃんはちょっと残念そうな声で「そっか、これが切れちゃったんだ……」とつぶやく。
「よくつけてたもんね。俺もかわいくて好きだったな。葵ちゃんに似合わない色なんてないけど、白いのが似合うのって才能だよね」
「そうなの?」
「白いシャツとか、似合わない人はほんとに似合わないでしょ。俺もあんまり着ないし。夏とかだと透けちゃうから……」
「……そうだね」
 なにが透けるのか、わたしは追及しなかった。わたしも夏場はあまり、白くてうすいワンピースを着ない。びっくりするほどはやくふくらんでいく胸を包む、ちょっとおとなびたみためのブラジャーをつけているのもあって、あつくてもすこしぶあつい布を選んでいた。
 楓お兄ちゃんがコンビニで買ったらしい菓子パンを食べながら、「柄物はつけない感じ?」とたずねる。わたしはかすかにうなりながら首をかたむけて、
「つけたことないから。あったらつけるかもしれないけど、わかんない……」
「そっか」
「お兄ちゃんたち、それぞれ選ぶの?」
「葵、俺たちのセンスと趣味が足並み揃ってそうに見える?」
 楓お兄ちゃんのおどけたような声に、わたしはふるると首を振った。お兄ちゃんたちはあたりまえだけど兄弟じゃないし、制服の着こなしにもちがいがある。瞳お兄ちゃんはきっちりとネクタイをしめてるけど近くでみるとワイシャツの第一ボタンだけ開けていて、ブレザーはあんまり着ない。祐樹お兄ちゃんはネクタイがちょっとだけいびつなことが多くて、五月のなかばから薄手のカーディガンだけを羽織っていた。楓お兄ちゃんが一番ざっくりしていて、ワイシャツの袖をまくって、前も開けてるから、下に着ているTシャツのほうがよくみえる。ネクタイをしめてるとこすらほとんどみない。
 わたしは駅ビルに入る間際、ガラスに映りこんだ自分と目をあわせた。祐樹お兄ちゃんと手をつないで、三人と並んで、とことこと歩く頼りない人影。みるからにちいさくてたよりない手足と、緑っぽいきたない色の痣があるほっぺ。飾られていない黒髪。
 あぁ。
 自分をあなどるきもちがふっとわいて、目を細める。
 並んで歩いている様子はどうしたって対等にみえなくて、わたしは自分がお兄ちゃんたちに抱くものを、なるべくていねいに隠していよう、と決めた。改まって決意した。
 大人になって、わたしがちゃんと、どこへでもいけるようになったら。
 なにを言って、この関係がどうなって、お兄ちゃんたちと離れるのも一緒にいるのも、選べるようになったら。
そのとき、いまさらのように言おう。

 駅ビルにはいると、さっきまでのしっとりした空気が嘘のように、ひやっとつめたい風が肌を撫でた。ぷるり、と一回ふるえるとすぐに慣れて、わたしたちはエスカレーターに向かう。わたしの一段上に立った瞳お兄ちゃんが、「何階だっけか」と独り言のようにつぶやく。
「六階」
「……おぼえてんの?」
「うん。一回来たことあるもの」
「一回だけだろ? お前、ほんと妙に記憶力いいよな……」
「物覚えがいいってことなんだし、いいことじゃね」
 楓お兄ちゃんの明るい声に、祐樹お兄ちゃんは感心したようにふかくうなずきながら「えらいよ」とちょっとだけ的はずれっぽいことを言った。わたしは祐樹お兄ちゃんがわたしのテストをとにかくよくほめてくれるのを思いだして、そこまで含めてえらいと言ってくれてるんだ、と思う。うれしくてつい、口もとがほころんだ。
 手芸屋に着いて、わたしは自分がおぼえているリボンの売り場までまっすぐに向かった。棚の位置は変わってなくて、色も太さも素材もまちまちなリボンが、極彩の洪水のようにあふれている。前は文月さんがうなりながら適当に、一番シンプルなものを色ちがいで数本買ってくれたけど、こうしてみてみるとほんとうにいろんな種類があった。どれが自分に似合うかなんて、永遠にわかりそうもない。
 瞳お兄ちゃんがまず、棚に手をのばした。白いリボンがぴろぴろと飛び出している中からひとつ、ぼんやりと光沢のある細いものを取りだして、ロールにまかれたままわたしの髪にあわせる。さすがにそれだけじゃわからなかったのか、先っちょをすこし引っ張って、わたしの髪とリボンのはしっこが揃って冷房の風に揺れるのをながめてから、「まぁ、いいか」と手をおろした。
 わたしたちがそうしているあいだに祐樹お兄ちゃんはふかい思考の沼にはまっていて、すでにいくつもロールを抱えて「ふむ……?」と首をひねっていた。声をかけようとしたとき、横から「葵」と声がかかった。声のほうを向くと、楓お兄ちゃんがきれいな花の刺繍をほどこしたリボンのロールを持っていて、やっぱりわたしの髪に簡単にあわせてから、「似合うと思った」と満足げに、二回うなずいた。
「予算オーバーすんなよ」
「大丈夫大丈夫。経費精算もちゃんとすっから」
「当たり前だろ」
 ふたりは早々に決まったらしく、わたしは希望もないのでぼんやり、隣の売り場にあるたくさんの糸をながめていた。家にはおばあちゃんのものだったらしい刺繍の道具がわんさかあって、要さんの機嫌がわるくて家にいないといけないとき、時折縫い物で遊んでいた。道具をつめた箱が高いところにしまわれているので、文月さんに声をかけないといけないんだけど。
 お兄ちゃんふたりと左右の手をつないで、祐樹お兄ちゃんの様子をみにいく。真剣な様子で悩んでいた祐樹お兄ちゃんは、捕まった宇宙人のようにふたりに両手を握られたわたしをみて「えっ、ずるい!」と叫んだ。きれいな顔にちいさな子みたいな不満がひろがって、かわいい、とお兄ちゃん相手なのに思う。楓お兄ちゃんが苦笑して、瞳お兄ちゃんはため息まじりに、「ずるくない」と答えながら祐樹お兄ちゃんのリボン選びを手伝った。
 祐樹お兄ちゃんは「全部葵ちゃんに似合うと思ったら、決められなくて……葵ちゃんはなんでも似合うし……」と十個くらいのロールを絶妙すぎるバランスで抱えていた。弱りきっていたけれど、ふたりが三本まで候補をしぼってやるとわたしの髪に代わる代わるあてて「かわいい」「これもかわいい……」「やっぱりこれかな……」と自問自答の末、水色と紺色にちょっと赤のはいった、チェックのリボンを選んだ。
 瞳お兄ちゃんが「今日つけてたリボン、もっかい出せ。長さ見るから」と手を差しだすので、わたしはほつれていないほうのリボンをわたした。
「案外長いな……そりゃそうか、いつもぴろぴろしてるもんな」
「瞳の口からぴろぴろって出てくるの、おもしろい……」
「うっせえバカ。会計してくるから大人しく待ってろ。葵、もう少しこれ借りる。あとで返すから」
「あの、お金……」
 直前になってやっぱり申し訳ない気がして、そっとつぶやく。瞳お兄ちゃんはしかたなさそうに目を細めて、「なんでお前が気にすんだよ」とちいさく笑った。わたしがうん……とこころぼそい返事をすると、瞳お兄ちゃんははっきりした声で「いいんだよ」と言って、みっつのロールを手に持った。
 楓お兄ちゃんに手を引かれて、エスカレーターの近くのベンチに座る。会計台でわたしのリボンの長さをはかってもらって、「これと同じ長さで、二本一組ずつお願いします」と説明する瞳お兄ちゃんの横顔をみつめた。端整な横顔は涼しげで、凪いだ水面のように落ちついている。祐樹お兄ちゃんがふと、
「女の子ってやっぱり、かっこいい人のほうが好きなのかな」
 そんなことを言うので、わたしはお兄ちゃんに顔を向けた。祐樹お兄ちゃんのつりあがっているけど柔和な目と、視線があう。
「どうして?」
「葵ちゃん、ずっと瞳のこと見てるから」
「あぁ、それは……」わたしはにっこりして、膝にのせていたランドセルを胸のほうに抱き寄せる。「離れてるから、みてたの。いつも近くにいると、どこかみてるお顔めずらしいから」
「確かに。そうだね。俺も葵ちゃんの横顔が珍しくて、そう思ったのかも」
 楓お兄ちゃんのほうをちらりとみると、首をかしげて柔和に微笑んでくれた。わたしたちの顔をだまって、飽きずに見守っている視線に顔をほころばせながら、祐樹お兄ちゃんに向き直る。
「でも、わたしのことみてくれる顔もすき。いまのお兄ちゃんたちはいまだけのものだから。みれるときにたくさん、みておくの。薄れたりしないように」
「ふふ。葵ちゃん、俺よりずっと大人みたい」
「そう、かなあ」
 会計を済ませた瞳お兄ちゃんが、薄くて軽そうな紙袋を片手にやってくる。せっかくだからどれかつけようという話になって、わたしはきょうの服をみおろす。ネモフィラの花みたいな色をした、水色のワンピース。多分どれを選んでもへんてこにはならないな、と思った。三人もそのつもりで選んでくれたのだろうし。
「……祐樹お兄ちゃんが、選んでくれたやつにする」
「え、じゃあ俺が結ぶ! 結んでいい?」
「うん」
 こどものようによろこんではしゃぐ祐樹お兄ちゃんは、瞳お兄ちゃんが紙袋からだしたチェックのリボンを受けとって、わたしの髪にそうっとくくりつける。手ぐしがむずかしいみたいで悪戦苦闘しながら結ったそれは、お兄ちゃんの「出来た!」の直後に瞳お兄ちゃんがちょっと形を整えた。
「わーん、瞳のばか! 直さないでよ!」
「曲がってるリボンつけられて恥ずかしいのこいつだろ」
「あ、確かに……」
「安心しろ、ウルトラ不器用なお前が結べただけでも奇跡だと思ってるから」
「瞳のフォローもウルトラ下手くそだよ……」
「俺は下手くそとは言わなかっただろうが」
 友達同士らしい気安い言い争いをみあげていると、楓お兄ちゃんがぽん、と、わたしの頭に手を置いた。
「いいじゃんね、めちゃくちゃ似合ってるんだし。葵、かわいいからあとで写真撮っていい?」
「……楓お兄ちゃんからもらったやつも、つける?」
「あはは、今日はいいよ。日吉のリボン似合ってるし。つけてたら絶対みつけるから、そしたらそのとき撮る」
「そっか」
 瞳お兄ちゃんがわたしに紙袋をわたして、「借りたやつも入れてあるから」とつぶやく。わたしは袋をランドセルにしまって、ベンチから立ち上がる。ごきげんな祐樹お兄ちゃんが差しだす手を握って、歩きだした。
 六月の、一年で一番ながい日の光が、窓ガラスからビルの中へさしこんでいる。まぶしくなって目を細めながら、ガラスに映りこんだ自分をみる。
 チェックのかわいいリボンに飾られて、さっきと別人みたいに浮きたった顔をしている。おかしくなってすこし笑った。祐樹お兄ちゃんもガラスの中にいるわたしとお兄ちゃんをみた。
「似合ってるね。かわいい」
「うん。……ありがとう」
 エスカレーターに向かって、歩を進める。
 冷たい風に、髪とリボンがするり、となびいた。