春束

「今めちゃめちゃアツい曲があるんですよ」
 通話作業越しの相手はそのように前置きし、「流していいでしょうか……」と問う。大学サークルの友人なのだが、画面を通すと敬語が抜けないらしい。ちょっとわかる。
「構わんよ」

 向こうは無音だと作業が捗らないタイプだったはず。わたしも普段なら追ってる作品の最新話やらコラボカフェやらリアルの講義の話やらを寄越せるが、なにぶん現在絶賛締切前。黙々と画面に齧りついているので、彼氏との会話すら減っている。相手の音楽のセンスは結構よくて、っていうか普通にわたしが好きなものが多くて、流れてきて困りはしないだろうと頷き、
 キーボードを触る指が盛大にバグった。
 流れてきた音は既視感とか通り越して知ってるし、めちゃめちゃ聞き覚えのある声。
「お、おお……」と傍から見たら微妙そうな反応をしてしまい、向こうが「あれ、あんまですか!? 構わなくなかったやつ?」と焦ってしまった。
「ぜ、全然、全然大丈夫。構わんやつ」
 知り合いどころではない人間の楽曲が無関係の友人から飛び出してくると思わなかった、だけなのだ。向こうが流している高嶋永久の曲はYouTubeにMV付でアップされていたもので、こないだ売り出したアルバムにも入っている。歌詞カードはわたしが作りましたとも。今やってるのは次のアルバムのものですとも。制作ペースふざけてるのよ。
 状況に気を取られて、わたしの作業は止まっている。なんならそれも構わんのだけど。

「……ライブとか行ったことあるの?」
「あ、そうなんです! 行きたいんですよね。CDは管理が大変で通販やってないって呟いてて。動画あがってるもの以外もすごい数あるみたいだから……」

 向こうが興奮気味に語るのを半分聞き流して、音に耳を傾ける。大学一年の春から偶然一緒にいる、友達。アーティストとしての彼女は声も音楽も暗かろうと明るかろうと透明で、普段話してるときの天然さも冷たさもない。
 あの世で流れていると聞いても納得出来る、純粋な音楽。
 彼女の音楽はあんまり多岐に渡るので、好きなものとめっちゃ好きなものがある。頼まれた作業はそりゃあ愛があること前提だけど、なるべく平坦な気持ちでやらないと主観が雑じって歪むから、改まって聞くことは少ない。
 でも、あぁ、きれいだな。
 微笑むように、歩くように、指差すように歌われるものすべてが。
 音楽については素人だから陳腐なことしか言えないけど、次回の歌詞カードは制作を断って買い手に徹そうかな、とぼんやり思う。でも、わたしより最高の歌詞カード作ってくる奴がいたらそれはそれで嫉妬して狂いそうなんだよなあ。まったく浅ましい。彼女――永句ちゃんは、音楽の上でなら、こういう泥水めいた感情までも全部を美しく聴くんだろうな。羨ましい。

 

20220831
春波をくだく真昼 >深海線